重要土地等規制法案に反対する声明
13 日曜日 6月 2021
13 日曜日 6月 2021
14 日曜日 2月 2021
意見陳述書
2021年2月8日
本訴訟で争点となっているテントと車両が強制撤去された2016年7月当時の沖縄・高江の光景は、東京にいて現地からの発信をパソコンやスマートフォンの画面越しに見つめることしかできなかった私にとってもあまりに衝撃的なもので、4年半以上が経過した今も脳裏から離れることはありません。
あの日をきっかけにして、多種多様な生き物たちの住処である森の木々が何万本も伐採され、連日ダンプトラックが数珠つながりになって大量の砕石や砂利を運び入れ、急スピードで工事が進められた結果、5カ月後の12月には、4つの新たなヘリパッドが完成してしまいました。当初は2年かかると言われていたにもかかわらず、です。これは、非暴力の座り込み・抗議の意思表示をつづけていた住民・市民を、力づくで排除した警察機動隊の存在が可能にしたことです。一審判決では、こうした機動隊の職務行為について「必ずしもすべて適正だったとは言い難い」と、その違法性が一部認められています。
あまりにずさんな突貫工事だったがゆえに、2016年12月に4つのヘリパッドが完成したとされるのちも、2020年の7月末まで補修という名目のやり直し工事がずっと続いていました。その間にさらなる税金が湯水のように投入されたことも見過ごすことはできませんが、それ以上に今日この場で伝えたいことは、昨年夏、新たに造られたヘリパッドの運用が正式に開始されて以降、高江の住民の方たちがどれほどの被害や精神的な苦痛を強いられているか、ということです。
続きを読む23 月曜日 7月 2018
ちょうど2年前、2016年の7月21日から22日にかけて高江で起こったことは今も脳裏に焼き付いています。自分も飛んでいきたい気持ちでしたが、仕事の関係でどうしても東京を離れることができなかったので、一晩中パソコンの前にかじりついていました。22日の明け方に1000人とも言われる機動隊員が、ご存知の通り沖縄県警だけでなく東京警視庁を含む6都府県からの機動隊員が押し寄せ、70号線を封鎖してN1ゲート前を埋め尽くし、座り込んでいた市民の強制排除に乗り出した時の感情は、言葉で言い表すことができないものです。非暴力の市民に対して、国家権力がむき出しの暴力をふるう様子に目の前が真っ暗になりました。
夏休みを取ってようやく高江に行けたのは、その強制排除からちょうどひと月後の8月中旬でした。その後、9月、11月、12月にも高江に足を運んでいます。そのたびに、警察機動隊による数多くの違法な行為を目撃していますし、自分自身も何度も被害にあいました。民意を無視して強行される工事作業に対しての非暴力の抗議・表現活動は、憲法が保障する権利のはずです。にもかかわらず、自分たちの税金で派遣された機動隊員がそれを無視し、沖縄に新たな軍事基地を造ることに加担した。その事実を黙認することは、納税者である自分も加担したことと同じだと考え、この住民訴訟の原告になりました。
14 水曜日 3月 2018
私は2013年から高江や辺野古に2、3か月に1度通い、座り込みをしてきました。仕事は雑誌の編集をしています。沖縄に通うようになったのは、子ども向け雑誌の沖縄特集を担当して、自分の加害者性に気づいたからです。
47人のクラスのうち「沖縄くん」だけが35個のランドセルをずっと背負わされ、沖縄くんは苦しそうに「これ以上背負いたくない」と言っている。それなのにいじめっ子が「もっと背負え」と言う。そのまわりを、見て見ぬふり、あるいはいじめに気づかない子どもたちが囲んでいます。私はそのうちの一人でした。傍観することでいじめに加担している自分に気づき、耐えられなくなりました。
29 月曜日 1月 2018
2017年12月13日、沖縄県の普天間基地に隣接する小学校の校庭に、米軍ヘリの窓が落下する事故がありました。沖縄県知事の申し入れにもかかわらず、米軍は事故の6日後には同型のヘリを飛行再開し、せめて小学校の上を飛ばないでくれという校長の要請も聞き入れられませんでした。あたかも日本国憲法を見下ろすようにして米軍機が沖縄の空を飛び回り、県民の基本的人権が踏みにじられています。高江でのヘリパッド建設によってその危険性と被害はさらに拡大しつつあります。
沖縄でヘリパッド反対運動の弾圧を行った警視庁機動隊の派遣費用が、東京都民の税金によってまかなわれている以上、この法廷にいる全員が当事者であり、沖縄県民に対する加害責任を負っています。私が高江に行った時、機動隊員は道路を封鎖して違法な検問を行い、法に反して力ずくで私たちの通行を妨害しました。機動隊は住民の生活を混乱と恐怖に陥れました。法の番人としての義務を負う武装した集団が、自ら法律を無視して市民を暴力的に威圧していたのです。司法がそれを正そうとしないなら、それは法の支配に名を借りた、単なる暴力による一方的な凌辱と抑圧にすぎません。